間違いをおそれずに
死んだような行いをする人には進歩はない
人として間違いのない人は一人もなく、そうして私どもは何でも事を実行してみて
その中の成功と失敗
すなわち間違いの中から多くの大切な経験と知識を発見するものです。
ですから出来るだけ考えて、右にするか左にするかを決定した上は
右と左をはき違えても構わないというしっかりとした心を持って
決定したことを行なうようにしたいと思います。
間違いのないように、ないようにという考えの中で事をするのと
考え抜いた上で間違えるのでは仕方がないという、潔い勇気をもって事をする人では、その行為の上に著しい違いがあるものです。
すなわち、びくびくものでする仕事は、間違いはなくとも気迫に乏しく
間違っているなら改めるまでのこと、自分は今こう思うのであるからと
自信を持ってする仕事は、活き活きと気持ちのよいものです。
そうしていつも死んだような行いばかりしている人には、ほとんど進歩がありませんけど
活きた行いをする人には、やり損ないがあったにしろ、いつも進歩と希望がその人についてまわるようです。
これは、1908年に羽仁もと子さんが書かれた一文です。
いろいろな著作がある人ですが、私は「暮らしの手帖」という雑誌の中でこの文を見つけました。
100年以上の言葉ですが、ぜひ記憶しておく文章だと思い記事にいたしました。
※これも前のブログからのお引越し記事です。
思えば、考えに考え抜いても、失敗は避けられないものです。
どんなに正しいと思えることでも、タイミングを間違えば、失敗に終わります。
そして、無責任にも人は責めます。
タイミングが早すぎて失敗したときは、「どうしてもっと熟慮しなかったのか」
そして、遅すぎて失敗したときは、「どうして早く手を打たなかったのか」かと。
正しいタイミングなど、誰にもわからないというのに。
無責任な人はほっといて、気迫を持って事に当たりましょう。
失敗に終わっても、すがすがしい気持ちは残ります。
私もそうでした。